2. 北川剛と日本のロシア音楽  

帰国後は1950年、日本初の「ロシア語合唱団」を設立し、1952年には「合唱団白樺」と改名した。ロシア語の翻訳に力を入れながら、ロシアの歌を指導し、その他にも14ヶ所で合唱指導にあたり、1985年まで33年間指揮活動を続けた。合唱団設立の指導の際には、団員の自主性と主体性を重んじ、誠実で温和な人柄は多くの人から慕われていた。そして学校へのロシア民謡の普及にも務め、ロシア語の民謡、ソビエト歌曲の研究、訳詞、演奏活動は大きな成果をあげた。その後、ソ連から来日する合唱団、アーティストのプログラム解説、レコード、曲集の解説者の第一人者としても活躍した。

北川さんの思いは徐々に広がり、日本では戦後1950~60年代に「うたごえ運動」や歌声喫茶が最盛期を迎え、全国の職場や学校で合唱サークルが結成された。そして労働歌、反戦歌、革命歌などが盛んに歌われ、中でも一大ブームとなったのが、ロシア民謡やロシア歌謡だった。「トロイカ」「カリンカ」「ボルガの舟歌」「カチューシャ」「灯(ともしび)」「ステンカ・ラージン」といったロシアの民謡・歌謡は今でもよく知られている。