逮捕の背景

ポツダム宣言受諾により第二次世界大戦での日本の敗北は決定的となった。その少し前の1941年8月6日にソ連は突然参戦し、満州へ侵攻。それにより満州国は崩壊し、そこにあった日本人社会は大混乱となった。大連の街は占領軍であったソ連軍兵士でいっぱいになり、暴行、略奪が繰り返され、日本人の婦女子を震えあがらせた。そんな中、日本人有志でソ連軍司令官に振袖を贈呈する話が持ち上がり、ロシア語が少し話せた赤羽さんは、通訳に選ばれた。赤羽さんの役目は、「町の平穏が戻ってきてほしいと」いう日本人の希望と懇願を司令官に間違えなく相手に伝えることだった。この責任の重い仕事をようやく終えた翌日、36歳の赤羽さんを待ち受けていたことは、なんとソ連将校による「逮捕」という運命。

文化の違いによる誤解は、時に驚くべき推測をまことしやかな事実に変えてしまう。ソ連の常識では、外国人に語学を教える教師は、すべてその前に教育を受けた職業スパイだった。もしロシア人が日本人にロシア語を教えれば、その人物は目に見えない糸で操られている存在なのだ。そして、そのロシア文化の構図をそのまま当てはめられた日本人の赤羽さんは、日本語の教師であったことから、日本の警察からの回し者にちがいないというスパイ容疑をかけられたのだった。尋問中には尋問官の暴行にあいそうになるという身体の危険にもさらされた。更に二ヶ月もの監禁に絶望的な赤羽さんは、判決の何もないまま、さらに囚人護送車に乗せられた。敗戦国の女に、すべての秩序は崩壊していたのだ。それは、自分を守ってくれる法律の存在しない広大なシベリアでの果てしのない10年の孤独の戦いの始まりだった。