ラーゲルの女達

ソ連と日本の国交については何もわからず、家族とはずっと音信不通だったが、一度大連の家族に手紙を出したいと思った時、満州から日本人はすでに皆引き上げて、赤羽さんの生まれそだった満州のその土地に父母はもういないことを知り、寂しい日が続いた。だが、ラーゲルの中では比較的友達には恵まれていた。ポーランド人のエレーナやウクライナ娘の美しいハヌーシャは心地よいロシア語で本を読んでくれた。ハヌーシャにはお返しに英語を教えた。手紙を書いてくれるロシア人の婦人もあった。ドイツ人のヘーデーは、合理的で緻密で限られた素材を使って、セーターを編んでくれた。ネリーというユダヤ人は人に迷惑をかけても平気で、ラーゲル側のスパイだという噂もあった。この女囚たちの九割は25年の刑を宣告されていたので、赤羽さんの胸は痛んだ。戦争が終わって既に五年が経ち、釈放は目の前に来ていたが、この先何が起こるかは、何もわからなかった。