吉田正 (1921年1月20日 - 1998年6月10日 茨城県日立市出身)は、
昭和17年 (1942年) 満州の水戸連隊に入隊し、終戦と同時にロシア軍によって連行され、
シベリア送りとなった。満州から120キロの徒歩の行軍の末、極東地域のクラスキー、
アルチョーム、ウオロシロフ、ソフガワニ、スーチャン、ナホトカと、6箇所へ連れて行かれた。
森林伐採、石炭の採掘などの強制労働の合間に白樺の木の皮に五線紙を書き、
寸暇を惜しんでは曲を書き留めた。死と隣合わせの日々の中、夕食の後には疲労した体で、
力をふりしぼって歌を教え、生きるために仲間を励まし続けたという。
帰国後作曲家となった吉田は日本ビクターに専属となり、鶴田浩二、三浦洸一、
フランク•永井、橋幸雄、吉永小百合、和田弘とマヒナスターズなどを育て、生涯で
作った曲は2400曲。1998年には国民栄誉賞を受賞。 多くの日本人が励まされ、
吉田の歌に夢を与えられ、勇気づけられながら戦後を生きてきた。しかし、 その作曲家としての生涯の間、
多くの友を失ったシベリアでの苦悩の日々を 語ることはなかった。 代表作品に「有楽町で会いましょう」
「誰よりもきみを愛す」 「潮来笠」 「寒い朝」 「いつでも夢を」などがある。 氏の功績をたたえ、
故郷の日立市に、2004年に吉田正音楽記念館が建立された。