壁新聞と日本新聞

ラーゲルの日本語の印刷物は「日本新聞」だけであったが、ドイツ語では「ノイエ・ツァイト(新時代)」「ノイエ・ヴェルト(新世界)」という定期刊行物が出されていた。ロシア語版の「ノーボェ・ブレーミヤ」、「ノーボェ・ミール」に対応するものであった。

「ノイエ・ヴェルト」には、新しいロシアの小説の独訳も載っていた。そのうち、「ウォール街の二十八人衆」、「東天紅」などを日本語に翻訳した。ノートに細かい字で書いた訳本はラーゲルの仲間に回し読みされていたが、私の手には戻らなかった。

「東天紅」というのは「モルゲン・ロート」というドイツ語のタイトルを訳したものであって、われながらうまく訳したものであった。しかし、日本に戻ってから、上野に東天紅という支那料理屋が誕生していたことを知った時は、なぜかチョッピリがっかりした。

「東天紅」の中身はもう思い出せないが、大変に新鮮な感覚に満ちた文章であったように覚えている。こういう小説がソ連で書かれていることは、やはり大ロシア文学の後を引いているのではないかと思った。

「ウォール街の二十八人衆」は面白いドキュメンタリーの小説であって、ウォール街を支配している28人のボスどもの働きを解剖したものであったが、それなりに読み応えがあった。ドイツ語から訳すのも容易ではなかったが、一種の楽しみがあって、毎晩少しずつノートに書き連ねていった。抑留の身の有難さで、いつまでに仕上げなければならないという制限はない。ゆっくり言葉を吟味しながらの翻訳であった。

学生時代にロシア文学にはかなり親しんでいたから、めぼしい作品はあらかた読んでいたが、ソヴィエトの文学はシヨーロホフのものを除いては余り縁がなかったので、それだけに新鮮で、何か一種の爽やかさを感じさせるものもあった。もっとも、今から思えば、他にこれといって読むものに恵まれていなかったせいかもしれない。

ロシアの小説を読むと、貴族の間でフランス語が日常用いられていたことが書かれていたが、ソ連では英語にとって代わられていた。最も日常使われているということではなく、学校で外国語として教えられているという意味である。

われわれのラーゲルには壁新聞が掲示板に貼られていた。論説欄や文芸欄などがあって、印刷物の乏しいラーゲルでは、随分と熱心に多くの人が見ていた。私も壁新聞に何回か書いたことがある。壁新聞の用紙はタバコの大きな包装紙であった。段ボールのような色がついていたが、丈夫だったし、壁新聞には向いていた。

文芸欄には投稿の中から選択した小説のほか、和歌や俳句、川柳なども掲げられていて、なかなか傑作があった。川柳には食物や女に関するものが多く、満たされない欲望を託していた。「禁断の木の実をいじらせ月を め」なんていう川柳は、今でも覚えている。