抑協33年の運動の軌跡

全抑協は昭和55年に結成されて以来30年にわたり、ソ連抑留者の処遇の改善を求めて運動を展開してきた。また、その間、私は終始会長としてこの運動の先頭に立って精一杯の努力をしてきたつもりである。

さわさりながら、全抑協が団体としての運動目標を充分に達したかと問われれば、遺憾ながらけっして充分とはお答えしかねる。

関係者五十数万人が全国にわたって分散していたこと、遺族会などとは異なり、会員相互の利害を結ぶ年金のごとき紐帯を欠いていたこと、一部の分派を抱えていたことなどのハンディキャップを持ちながら、とにかく全都道府県にわたり(一部を除く)組織を維持しながら努力を続けてきたのであるが、年を経るとともに高齢化が運動の活力を削いだことなどが原因であったと思う。

しかしながら、二度にわたり慰労金品などの支給を受けたこと、抑留史などの刊行、抑留記念展の開催、各都道府県における慰霊碑の建立、中央・地方慰霊祭の開催、日ソ(後の日ロ)シンポジュウムの開催、ソ連(後のロシア)政府に対する抑留関係事業についての交渉などにおいて、それなりの成果をあげることができたことは、会員諸兄、自民党議連の諸先生の協力の賜物と深く感謝している。

懸案の中央慰霊碑も鳩山総務大臣の決断で千ヶ渕公園に建立されることが決定し、また、抑留記念品の収蔵・展示のための史料館の建設についてもなお早急に検討を進めている。

日暮れて道なお遠き感のあったわれわれ全抑協の運動もついに終着駅に近づいたわけであるが、戦争が終結した後においてソ連側により60万将兵が抑留(拉致)され、うち六万人が酷寒の地に病を得て死亡するという悲惨な事実は後世長く記録にとどめるとともに、今後とも日本人の胸に記憶として深く刻していただきたいと思っている。また、そのことが祖国にダモイを夢みつつ、栄養失調、結核、発疹チフスなどによって、あたら青春を散らした戦友の御霊を慰める所以であると思っている。

再び繰り返されてはならない戦争の悲劇は、それが戦い済んで、平和が来るべき秋に起こって詳細な記録を取り纏めたうえ上梓し、長く後世に記録としてとどめたいと考えている。

なお、付言すれば、斉藤六郎の全国抑留者補償協議会は、訴訟で日本政府に賃金補償を勝ち取るとして多額の運動資金を集め、最高裁までいったが敗訴。また、ソ連から労働証明書を受け取ると一人数千円の手数料をとったが、これも全く実らず、関係者に迷惑をかける結果となっている。

捕虜収容所に収容されていた者に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定

日本国政府及びソヴィエト社会主義共和国連邦政府(以下「ソ連邦政府」という。)は、人道的観点に立脚し、両国民間の真の相互理解及び相互信頼の強化を目指し、一方の国の国民で他方の国の捕虜収容所に収容されていた者(当該収容所で死亡した者(以下「日本人死亡者」又は「ロシア人死亡者」という。)を含む。)に係る問題を速やかに処理することが、この目的に資するものであることを確信して、次のとおり協定した。

第一条

ソ連邦政府は、次の措置を実施する。

一、日本人死亡者の名簿であって以前に公式の経路を通じて提出が行われていないものを日本国政府に対して提出すること。提出する名簿には、可能な範囲で、氏名、生年月日、出生地又は、本籍地、死亡年月日、死亡地、死亡原因及び埋葬地に関する記載が含まれる。

二、日本人死亡者の埋葬地に関する資料であって以前に公式の経路を通じて提出が行われていないものを日本国政府に対して提出すること。提出する資料には、可能な範囲で、埋葬地の所在及び埋葬者数に関する記載並びに埋葬地の見取図及びその状況を示す写真が含まれる。

三、日本政府の要請に応じ、日本人死亡者の遺骨のうちその引渡しが可能なものはすべて同政府に対して引渡されることを容易にすること。日本人死亡者の遺骨の発掘及び引渡しの手続き並びにこれに係る費用の額は、外交経路を通じて決定される。当該遺骨の発掘及び引渡しに係る費用は、日本国政府によって、日本国の法令に従って負担される。

ソ連邦政府にとって日本人死亡者の遺骨の埋葬地を移転する必要性が生ずる場合には、その旨を日本国政府に対して通告すること。

四、日本人死亡者の埋葬地が適切な状態に保たれるよう努めること。

五、捕虜収容所に収容されていた日本国民の所持品のうち、ソヴィエト社会主義共和国連邦の公の機関により保有されているもの及び将来見いだされるものを、日本国政府又は同政府が指定する団体に対して引き渡すこと。当該所持品の引き渡しの手続き及びこれに係る費用の額は、外交経路を通じて決定される。

六、一に規定する名簿に加え、捕虜収容所に収容されていた日本国民について所持するすべての名簿を日本国政府に対して提出すること。提出する名簿には、可能な範囲で、氏名、生年月日及び出生地又は本籍地に関する記載が含まれる。

第二条

日本国政府は、次の措置を実施する。

一、ロシア人死亡者の名簿であって以前に公式の経路を通じて提出がわれていないものをソ連邦政府に対して提出すること。提出する名簿には、可能な範囲で、氏名、生年月日、出生地又は、本籍地、死亡年月日、死亡地、死亡原因及び埋葬地に関する記載が含まれる。

二、ソ連邦政府の要請に応じ、ロシア人死亡者の遺骨のうちその引渡しが可能なものはすべて同政府に対して引渡されることを容易にすること。当該遺骨の発掘及び引渡しに係る費用は、ソ連邦政府によって、ソヴィエト社会主義共和国連邦の法令に従って負担される。

三、ロシア人死亡者の墓地が適切な状態に保たれるよう努めること。

第三条

いずれか一方の国の政府が自国民たる日本人死亡者又はロシア人死亡者のために、他方の国内に慰霊碑を建立することを当該他方の国の政府に対して要請する場合には、当該地方の国の政府は、その実現のため可能な範囲で必要な協力を行う。その要請の検討及び実現に関する問題は、外交経路を通じて決定される。

第四条

いずれか一方の国の政府の代表団、団体又は個人が他方の国内にある自国民たる日本人死亡者又はロシア人死亡者の埋葬地への墓参を行う場合には、当該他方の国の政府は、当該墓参の実施のために必要な便宜を与える。

第五条

両政府は、それぞれの国の法令に従い、この協定に定める諸措置を遅滞なく実施する。

第六条

両政府は、この協定の規定の実施に際して問題が生ずる場合には、外交経路を通じて遅滞なくこれを解決するよう努める。

第七条

この協定は、署名の日に効力を生ずる。1911年4月18日に東京で、ひとしく正文である日本語及びロシア語により本書2通を作成した。

日本国政府のために     中山 太郎

ソヴィエト社会主義共和国連邦のために     ア・ア・べススメルトヌィフ