酷寒零下55度

外はシベリアの酷寒である。私は、給与責任者として食事のたびに飛び出していかなければならない。どこか、イルクーツクだったか、ほんの一寸の間、給食か何かの計算をする為に手袋を脱いだが、左手の小指が凍傷にかかって感覚がなくなってしまった。

痛いというのではない。右手でこすると小指は冷たい石のように固く凍っている。神経が麻痺しているのである。こんな時は急に暖めてはいけない。腐る怖れがあるという。雪で擦るといいというが、とにかく布か指で摩擦するのが一番よい。私は、1 時間以上も右手で擦り続けると、やっとむずがゆくなって感覚が戻ってきて助かった。しかし、左手の小指は、その後も長いこと寒さに襲われると先に痺れて感覚がなくなった。後遺症があったのである。

温度は零下20 度とか30 度ということも少なくなかった。ハバロスク出会ったが、零下55 度を経験した。それがわれわれの経験した最低の温度ではなかったろうか。

もっとも、体感温度というものもある。これは風が吹いたりすると、実際の温度よりも身体は寒さを感じる。その温度をいう。実際の温度が20 度ぐらいであっても、体感温度は30 度以下になることがたびたびあった。

レールは冷えきっていた。このレールに向けておしっこをすると、レールに当たった黄色い水は、本当に瞬間に凍った。臭いを発するひまもないくらい瞬時にである。

防寒帽を被っているが、顔は外気に曝されている。そこが凍傷を受けやすい。まず耳である。だから、防寒帽の耳覆いを引き下げておく。耳は割合感覚が鈍いので、凍傷にやられてもなかなか気づかないことがある。凍傷にやられると白く凍ったようになって、やがて黒くなり、治っても強く日焼けしたときのように厚く皮がむける。

耳の次は頬と鼻である。小鼻がやられやすい。鼻当てというか、裏に毛のついたマスクをしているのであるが、このマスクの毛に息が白く凍りつく。マスクの上の方から洩れて吐き出された息は睫毛に当たる。睫毛が白く凍る。鼻の中の毛もバリバリと凍る。眼の玉を濡らしている粘液が凍ったようになる。寒さというものは、本当に厳しいものであるということは、これから3 年間にわたって切実に経験しなければならなかった。日本の北国の寒さなどは問題にならない厳しさであった。

この後のキズネル駅からエラブガまでのいわゆる「死の行軍」で何人か凍死した仲間もいたし、また手や足の指を凍傷でなくした人はいくらでもいた。同じ軍司令部の某少尉は親から譲り受けた10本の指のうち8本も凍傷で奪われなければならなかった。残った2本の指をじっと見つめては深い溜息をついていた彼の悲しそうな顔は今でも思い出す。最も、本人の不注意によって凍傷にかかったものもいる。横着は、どんな場合でもいい結果にはならないということがわかった。