ところで、よくわからないのが一体なぜ、私を監獄の独房に押し込めたかということであった。私は中支の軍司令部で主計の将校をしていた。もっぱら日本へ還送する物資の調達を担当していたから、戦闘行動に直接従事したことはなかった。敵機は毎日何回も見ていたが、もっぱら銃爆撃から逃げ回っていただけであった。
独房に入れられてから4日目も夜更けのことだった。背の低い、色の黒いひげ面の看守がニヤニヤしながら入ってきて「出かけるんだ」と言う。何処に行くかと聞いたところで、返事のないことはわかっていたので、早速起き上がって支度をした。着たきり雀なので、上衣を着ればそれでいい。足元は相変わらずの内に毛の生えた防寒靴であるのは、何とも夏向きではないが、歩くのに不自由というわけでもない。
入口の重い樫の扉、2 階の踊り場の鉄の網戸、階段降り口の鉄の網戸と、入ってきた逆の順に七つか八つある扉を潜って最初に入った門まで来ると、例の細面の中尉が車の外に立って待っている。
「乗れ」と言うので車に入ると、これは窓のない囚人護送車であって、10人以上も乗れるスペースがあった。外はその日の最後の太陽の光が赤く残っているだけで、夜の11時頃ではなかったろうか。時計という時計はソ連の兵隊に略奪されていたので、収容所のわれわれは誰一人として動く時計を持っているものはなかった。私は、ハミルトンの懐中時計を持っていたが、これはわざとガラスを壊して針も隠して「カプート」と言っておいたので奪われなくてすんでいた。無論そのままでは役に立たないことは明らかであった。
ところで、その護送車がゴロゴロと走ったのは10分ぐらいであろうか。何処を走っているかはわかるはずもないが、着いたところは監獄に入れられる前に軍曹が私を連れてきた建物であるような気がした。
2階の部屋に入れられたが、そこは余り広くもなく、かなり大きな机が置かれ、高い背のある椅子からは小太りで白い丸顔の男が立ち上がってきて「座りなさい」と言う。50歳過ぎであったろうか。机の前には小さいテーブルとその周りに椅子が3脚ほど置かれていた。その部屋の主の他に白い軍服を着て中尉の肩章をつけた男が立っていた。顎をしゃくるようにして「座れ」という身振りをする。軍人のわりには日焼けのしない顔のなかに空色に近い瞳が何かを探るような動きをしていた。この男は後でわかったことであるが、日本語の通訳であった。
この部屋の主は、タタアル自治共和国の内務副大臣と知らされたが、なぜ副大臣が私のようなかけ出しの将校を直々に取り調べをするのかは、どう考えてもわからなかった。
ソ連流の取り調べというものを何回も経験している。例によって、名前、父称、国籍、出生地、所属していた部隊、そこで何をしていたかなどについて紋切り型の質問が始まった。取り調べのマニュアルでもできているに違いなかったが、この何べんも同じことを繰り返して聞くことに意味があることがわかるまでには若干の時間を要した。
私の所属していた軍司令部は中支の漢口にいて、終戦の間近に北朝鮮に移って来たのであるが、取り調べではもっぱらその中支での軍の編成、軍司令部の組織、将校の名前、仕事、私の行動その他に関することであって、こんなことを聞いて何の役に立つのかと思われるような細かいことまで飽きもせずに聞き出していくのであった。
副大臣は無論ロシア語、それを中尉が日本語に訳すが、その日本語がまことに下手くそで意味がよく通じないので、何べんも聞き直さなければならない。副大臣は鷲鳥の羽根のペンをインク壷につけては白い罫が引いてある紙に書きつけていく。そして、時々別の書類を操っては、首を振って「ネ・プラウダ(嘘だ)」と言う。
私もいくらかロシア語を勉強していたので副大臣と通訳の中尉との会話の片言隻句はわかったが、私の経歴や何かについて違うことが書類に書かれているらしく、それで副大臣が「嘘だ」と言っているようであった。
私は、軍司令部の主計将校としての仕事以外のことをしたことは全くなかったから、貨物廠の廠長としていたとか何とか言われても身に覚えがないので、少しも動揺することはなかった。本当は主計少佐であるのに主計少尉と偽っているのではないかという疑惑を深くもっているようであった。官名詐欺というのであろう。
それは、できるだけ兵隊の位が低いほうが早く帰国させてくれるのではないかという思惑もあって、故意に階級をごまかしていた軍人もあったらしいので、先方にしてみればそういう疑いをもつことも不思議ではないようであった。
私の所属していた軍の編成、兵員数、装備などもあらかた丁寧に調べてあったようで、その一々についてもまた訊ねるのであった。取り調べは夜中の2時、3時に及んで、そろそろ短い夜が明けそうになってきた。
副大臣も取り調べに飽きてきたようであった。というのも、一つにはこの通訳の若い中尉の日本語が大変お粗末で、副大臣も訊問がスラスラ進まないせいか、次第にイライラしてくるのが眼に見えるようであった。5時過ぎには副大臣が欠伸をして腕の伸びをすると同時に、今日はここまでということになって、私をここに連れてきた細面の中尉が現れた。来た順を逆に歩いて裏玄関に出ると、そこにまた護送車が待っていた。
すっかり朝になったので、この建物の前には緑に萌える樹々に包まれた公園があることがわかった。公園のベンチには恋人達が寄り添っている。じっと彫刻のように動かない二人もいれば、にぎやかに笑いこけている二人もいる。