素朴で親切なタタアル人

私は、ロシアに3年足らず住んでいたことになる。しかし、そのほとんど大部分は収容所の中であったから、ロシア人の生活や何かについて語る資格は乏しいかもしれない。が、それにしても、給与主任などという役をして、毎日ほとんど朝から晩までロシア人と一緒にいたし、また、たまには買出しなどで街の人と話したりする機会は持っていた。それで、ロシア人のことをいくらかわかったような気もするが、本当はよくわかっていないのかもしれない。

私が2年あまり住んでいたエラブガは、今でこそ人口5万有余という工業都市になっていると言われているが、私どものいたラーゲル周辺は建物もいくらか新しいものもあったが、ほとんど昔のままであった。50年経って再び訪ねた時の印象である。

その田舎町のエラブガで接したロシア人(というよりタタアル人の方が多かったかもしれない)は、概ね素朴であり、親切であった。タタアルのおばさん達は、ロシア語は片言で下手であるが故に、お仲間のような意識を持っていたことも事実である。

たしかに、あれほど沢山の人種が混じっていてはそうなるだろうとは思うが、といって、人種差別が全くないわけではない。というよりは、至るところでロシア化政策が進められていることを感じた。タタアルスタン共和国では無論タタアル語は使われているが、ラジオ放送もロシア語が主で、タタアル語の放送もあるというにすぎない。

もっとも新聞にしても、タタアル語の新聞というのは見かけなかった。小学校では主に外国語みたいにタタアル語を教えるということであったが、真偽のほどは確かめていない。

墓地に行ったこともあるが、墓碑銘はタタアル語で書かれているものが多かった。

無論読めないが、右から左に書いて行くということで、かつての日本語と同じだとタタアル人と言い合ったことを思い出す。

それはともかくとして、多民族が混じり合って住んでいるロシアの社会では、言葉については、日本ほど神経質ではないし、ロシア語が苦手であっても笑われるようなことはなかった。

タタアルスタン共和国はハンガリーのマジャール系の住民と同様に東洋系であるといわれている。百科事典を見ると、タタアル人(韃靼)は、西トルキスタンを除くソ連領内のトルコ系住民の総称であり、イスラム教徒が多い。その大部分はヨーロッパ・ロシアに住むが、13世紀のモンゴル西征軍に従ってきたトルコ族の子孫がブルガリア人、フィン人、カフカス人などと混血したものであるという。

このタタアル人の名称が、フィン人、サモエード人、モンゴル人などと混血したシベリア原住民のトルコ族にも拡大適用され、ソ連内の北方トルコ系住民は、行政上すべてタタアル人と呼ばれるようになった。

タタアル人は、私が現地で聞いたところでは、幼児期、蒙古民族の特色である蒙古斑を尻に持っているという。

タタアル人は少数民族で、タタアル自治共和国をつくっていた。ラジオの放送にはタタアル語も混じっていたが、ロシア語が主で、公用語も第1はロシア語、第2がタタアル語であるという。学校の教科書もタタアル語のものもあったが、主にロシア語で教えていたようだ。共和国の各部門の長にはタタアル人がなっていたようだが、その長の下の次長級はほとんどロシア人で、彼らが実権を握っていると言われていた。

ちょうど、関東軍が満州国を創った時、各部(日本の省)の長は中国人であったが、その下の次長はすべて日本人で、彼らが実際はすべてを取り仕切っていたと聞いていた。これと似たようなものであった。例えば、商工部の次長は岸信介氏で、彼が事実上の商工大臣であったようなものである。

タタアル人は、日本人にはかなり親しみを持っているように思う。背は低いし、黒い髪、黒い瞳を持っているものが多く、色も東洋系である。

ソ連はじつに多種多様な民族を抱えていた。いわば多民族国家であったが、何と行ってもその中核はロシア人で、彼らがいわば支配的な民族であった。したがって、ロシア人以外の民族に対しては、その自治、自主性を尊重するような政策をとっているかのように振る舞ってはいても、中身は、ロシア人に対する同化政策を推し進めていたことは間違いない。それが、いろいろな面でソ連邦を揺るがせていたことも事実だと思う。やがてソ連邦が崩壊して十有余の国家が誕生したことも故なしとはしない。

異なる民族と宗教は、容易に融和し難いものであり、また、世界全体としてみても、それぞれの民族が独立を求める運動は承認せざるをえない状態になってきたといえよう。

全世界の国家の数が戦前の約80ヶ国から現在の193ヶ国まで増大してきたのも、主として民族の独立運動の結果である。いいか悪いかは別である。それぞれの民族が、人種も言葉も顔も、時に宗教も違う民族同士が、それぞれ自分の独立国家をもちたいという熱病やみのような運動を抑圧する力は、どこの国も持ちえないし、また、抑圧すればするほど悲劇が増幅するだけではないかと思う。