モスコウの変貌

それから20年経って、再びモスコウを訪れた時は、全抑協の会長としてであった。たしかに、モスコウの街は変貌しつつあった。

第一、車の数が増えた。「チャイカ」と呼ばれる要人の車は、交通信号を無視してモスコウ市内を疾駆できると聞いていささか呆れたが、一般の車が増えたといっても、たいしたことはなかった。

それにしても、それからのモスコウの変わりようはかなり激しかった。ここ数年は毎年モスコウを訪れているが、車の増えたことに一驚する。しかも、高級車が少なくない。今ヨーロッパで一番高いベンツが最も多く売れているのはモスコウであるということであったが、日本車もかなり入っているし、レクサスの人気が高いという。

ヤミのドル売りはいなくなったし、手製の人形などを売っていたおばさん達の姿も見かけなくなった。街の若い女性の服装も様変わり。ヨーロッパやアメリカのブランド物が溢れている商店街もあった。

それより驚いたのは、カジノが増えたことであった。一昨年行った時は、プチラスベガスと呼ばれるカジノ街ができていて、怪しげな風俗営業の店もかなりあるという話を聞いた。これがかつての共産主義、社会主義の国かと思うと、あまりの変わりように驚くほかなかった。

もっとも、その後余りにも増えたカジノをプーチン首相が命令一下廃止したというが、確かに昨年モスコウに出向いた時にはプチラスベガスは消えていた。流石独裁国家は違うなと感じた。

ロシアも石油などの資源価格の異常な高騰の余禄を充分享受しているはずであるが、それにしても、その余禄は一部の人々が偏って受けているようであって、一般のロシア人の暮しはどうなっているのか、気になるところである。

短い期間の旅人が知る由もないが、物価高も一般市民の生活をかなり苦しくしているようであり、官庁や会社の給料だけではとてもまともな暮しはできないので、夜や休日は別に働くとか、アルバイトに精を出すとか、いろいろ工夫を強いられていると聞かされた。

ある年に会った某省の局長は、役所の給料だけでは生活費の3分の1にも満たないから、原稿を書いたり、大学で教えたりして3分の2を稼ぐのだと言って苦笑いしていた。そんなものかな、と思ったが、交通違反で捕まっても、ちょっとお金を払えば助かるという話を聞いて、ああそうかとも思った。

率直に言うと、ロシアは資本主義国の道を歩いていると考えて間違いないように思うが、どこか歪んでいて、少なくとも経済的にはアンバランスな姿を抱えたまま、前進しているのではないか、という気がしている。モスコウの変貌に眼が放せないのは、3年間抑留生活で、やはりロシアという国のあり方に関心をもっているせいであろうか。

モスコウの街には昔よりも色とりどりの服装の女性を見かけるようになった。公園で遊んでいる子供達の姿も元気がいい。木陰では若い男女が仲睦まじそうに語らっている。西欧の他の国々と変わらないようになった。

しかし、何となく違う。どことなく違う。ロシアの経済は相変わらず前進はない。鉱工業生産もなかなか回復しない。ペレストロイカで経済が大幅に自由化されて、外国から何でも物資が流入してくると同時に、一部とんでもない金儲けをする者が出る一方、年金生活者などの低所得者は物価高に苦しむという現象は、昔の共産主義時代のほうがよかったという巷の声を招いているという。

モスコウでは骨董品のいいのが安く買えるという話を聞いていた。何といっても、かつてはツアーの大国。共産主義革命で貴族階級は亡んだとはいえ、永年の蓄積が急に雲散霧消するはずのものでもあるまい。

大使館の人に何軒か案内してもらった。時間が余りなかったので、ゆっくり眺める暇もなかったがマイセンの人形、ティーセット、デカンタなどを買った。マイセンのものは、家内が大変執着していたので買うことにした。すべてドルである。絵や彫刻の類もあったがよくわからないし、18世紀頃のものはあまり興味がない。

値段はパリなどより安いように思ったが、どうだろうか。バブルの最盛期はパリの絵も骨董品もとんでもない高値をつけていたが、日本と同じように今はかなり大幅な値下がりを示していると聞く。

もっとも後で聞くと、ペレストロイカ後、金に困った人達が、換金を求めて売り払ったいい骨董品の行き先はロンドンやパリであったという。とくに、嵩が小さくて値の張る宝石類は、モスコウにはあまり残っていないということであった。

そうかもしれない。というのは、指輪の類をいくつかの店で見てみたが、ろくなものはなかった。もっとも、そういうものは店の奥深く蔵していて、一見の客ぐらいには見せないという話もおそらく本当なのであろう。

中古カメラも見てみた。ライカにそっくりのソ連製のカメラが沢山並んでいた。ソ連は平気でコピー製品を作っていたという。武器もそうであったそうだから、カメラぐらいは気にしないで作っていたのであろう。資本主義を倒すためにすることはすべて正義であると思っていたのかもしれない。

それはさておき、本物のライカもいくつかあった。古いものを一ヶ、それにローライコードの古いのを1ヶ買った。いずれも日本円で1、2万円で安いといえば安いが、そんなものかもしれない。