酷寒のトイレ事情

大陸を輸送されている間には寒さで凍傷になる人は後を絶たなかったが、ラーゲルに入ってからは、少なくなった。危ないのは素手でドアのノブを触ることであった。零下20度にもなっていると、手の指がドアに触れた途端に吸いついて、無理に離そうとすると皮がペロッと剥がれてしまう。瞬間に皮が凍ってしまうためである。

問題は便所である。便所は戸外にあるから、それこそまともに寒さを受ける。小用を足すと、湯気の立っている液体が地面に着いた途端に氷ってしまう。飛び散りもしない。この黄色い氷が積み上がってくる。そのうち何とかしなければならなくなると、鉄の棒でこの黄色い氷を割ってスコップで橇に乗せて河へ棄てに行くのである。

大きいほうも同じであるが、なお始末が悪い。低い仕切りだけあって扉も何もない便所の壺は、氷った大便が、それこそ塔のように積み上がってくる。尻に閊えそうになる。

そこで、この大便の塔を鉄の棒や時には掛矢で崩して河に棄てる。河には黄色い氷のかけらが山のように積み上げられる。ちっとも臭くないのはいいが、氷のかけらが服につくと、体温で融けて臭い出すのである。

この黄色い河は春になると融けてカマ河、そしてボルガ河に流れ出す。広大な大地に広大な河が流れているから、人間の排泄物など自然にまかせておいても大した障害にならないのではないかな、と思ったりする。

雪は根雪となる。その雪が人や橇で踏み固められたところは、氷のようになる。子供達は、その上でスケートをする。スケートの刃が潜らないくらい固い氷の面となっている。

ソ連の女性たちは、シューバの下は夏物同様、薄いものを着ている。長い時間は無理だとしても、30分や1時間ぐらい近所で買物をしたり、友達のところを訪ねたりするくらいならそれで大丈夫のようであった。最も、寒さに馴れていることもある。それは、ソ連の兵隊を見てもよくわかる。お粗末な外套の下は、夏物みたいな軍服で、その下はシャツと跨下だけで、パンツも履いていない。

大便をしても拭かないで、そのままの連中も多いようで、洗濯場の仲間が、連中の跨下によく糞がついているので、洗うのが嫌だとこぼしていた。

ソ連人が寒さに強いのは、馴れもあろうが、やはり食物も寒さに耐えられるように、こってりしたものになっているのではないかと思う。といって、毎日の食事をよく眺めてみたわけてはないので、本当のところはわからない。