約束不履行の墓守り

墓地は地元ボランティアの何人かで面倒を見てくれているという。50歳過ぎの男であったが、そのうちの一人が現れ、私達が持っていったいろいろなお土産を、当たり前のような顔をして、それでも礼を言って受け取っていた。

日本人の墓地の隣りにドイツ人の墓がある。スターリングラードでソ連軍に包囲されたドイツ軍の将校は30万人。10万人を失って降伏し、ソ連領内に転送される間に10万人死亡、収容された10万人のうち生き残っているのは3分の1の約3万人だと聞いていた。

その人達の墓が日本人墓地の隣りにあったことは、今回お参りするまで知らなかった。ドイツ人の他にハンガリー、ルーマニア、オーストリアなどの将校もラーゲルにいたが、その連中の墓はどうなっているのだろうか。

ドイツの将校の中には、2年余り親しくしていた連中もいた。シュミット、ヘンニインキ、ランベルティ、マックスなど、ドイツ側の連隊本部や炊事で働いていた彼等の顔は今でもはっきりと思い浮かべることができる。

住めば都ということにはけっしてならないラーゲルの中であったが、彼らとの間に友情と交流はあった。往事茫々と言うし、東と西に別れては彼等に会うことも叶わないであろう。お互いに年もとった。

ただ、ここに一つの問題があった。冨樫君達がいつか、何回目かにエラブガの墓地に言った時、市長に会って話し合った際に、市長は墓地の維持管理は市の責任と負担において行なう旨を約束したという。ところが、なかなか約束は履行されないばかりか、墓守りのための経費を日本側に要求してきたという。

というのも、ドイツにはソ連領内のドイツ人将兵の墓地の維持管理のための特別な団体がつくられ、この団体が墓地のあるソ連の市(町村)と契約を結び、墓地の維持管理の費用を支払うことになっているので、日本側も是非同じように費用を負担してほしいという。

日本とソ連(今はロシア)との間には、平成3年にゴルバチョフ大統領が訪日の際、捕虜収容所に収容されていた者に関する日本国政府とソ連政府との間の協定が締結されたが、そのなかに両国の墓地の維持管理は両国でそれぞれに責任をもって行なう旨の条項があった。

その協定によれば、エラブガの墓地の維持管理は市の責任において行われる物であるから、日本側に費用の弁償を要求してくるのは間違いということになっているが、市が実行してくれないとなると、これを強制する方法が見あたらない。

これは普通の国が相手なら、外交ルートに乗せて実行を迫ることも可能であろうが、ロシアが相手ではまず諦めが先に立つ。収容所生活から、ソ連側の約束などは全くあてにならないことが、身に滲みてわかっているからである。

そこで、冨樫君達が音頭をとり、とりあえずエラブガの仲間に呼びかけて集めた金をエラブガのボランティア団体に渡すことにした。もちろん、ドイツのような団体は日本にはないので、継続的に金を支払うことはできないということも付け加えておいたという。

墓地の維持管理は市の責任においてするからという、訳のわかった市長の発言が一転して変わったのは、市長が替わったからだという。行政の継続性からみても、市長が替わったからといって約束を破っていいことにはならないが、そういう理屈が通るロシアではない。文句を言っても、金がなければ墓の面倒も見ないとなれば致し方ない。ロシア側との交渉ではよくあることである。