7. 感謝

本サイト作成に当たって、東京女子大学短期大学部牟礼キャンパス時代の恩師小林祐子先生を通じて、日本抑留者協会の事務局長、饗庭秀男氏に紹介して頂けたのは本当に幸運だった。饗庭氏より頂いた数多くの資料から、帰還者である吉田勇氏の「ダモイへの道」を選び、氏の魂を揺さぶる写実的な絵の数々と説明文がまずこのサイトの支柱となった。饗庭氏が2013年に永眠されてからは後任の事務局長、吉田一則氏より更なる資料を頂き、ご指導頂いた。このお二人の内側からの支援なしには、このサイトの充実は成し得なかったと思う。

また、2014年にインタビューを通して日本抑留者協会の会長の相沢英之氏にお目にかかり、更に大きな方向を示唆された。 氏は厳しい抑留生活より生還後、衆議院議員、経済企画庁長官などの要職を通して戦後の日本社会を内側から支えた後、退職後85歳で現職の弁護士の道へ。そして数々の海外との友好団体の理事を務めながら、抑留者協会の会長として、精力的な行動を続けた。当時95歳だった相沢氏が旧ソ連領に埋められたまま日本へ戻って来る事のできなかった霊を深く悼み、率先して毎年9月にロシアに向かい、 抑留者の残された数々の問題の解決に注いだ精力的な活動には目を見張るものがあった。一つの大国であったソビエト連邦がなくなりいくつもの小国に分かれてからは、現地の貴重な資料も分散してしまって、交渉や入手がより困難になったのだそうだ。それでも熱意の消えることのなかった氏が、2019年に約百歳で他界されたことは残念でならない。

このような生き証人としての氏にお会いする機会を得た事で、氏の信念と行動力、そしてどんな事があっても希望を捨てない事の大切さを教えて頂いた。このウエブサイトに収められた氏のご著書「ボルガは遠く」から、シベリア時代のことがわかる。また、本ウエブサイトの「音楽」という項目の中に収められた「シベリアの歌」は、相沢英之氏との出会いの後で訪れた曲想を元に私が作曲し、心ある友人の音楽家達の協力の元で録音された。現在、日本抑留者協会の毎年の全国慰霊祭の折、シベリア抑留死没者の霊を偲ぶ献花の時に流れる音楽として使用されている。

最後に、このウエブサイトを通して、今後日本人のシベリア抑留の歴史がより多くの方々に理解され、世界平和への道を模索する一助となる事を願って止まない。そして、このサイト作成の仕事の全てをシベリアに抑留された叔父久芳(大島)健夫と、亡き父、大島舜に捧げたい。父は早くから私に英語学習を勧め、「太平洋の架け橋となれ」言って、快くアメリカへと送り出してくれた。また長期間に渡って私を励まし、理解と暖かな援助を惜しまなかった夫ジョナサンに深い感謝の意を表したい。

 

2020915日

カリフォルニア大学デイビス校
東アジア言語文化学科日本語科名誉講師
榊原(大島)晴子  hosakakibara@ucdavis.edu

 

• 次の方々から助成金を頂きました事を厚く御礼申しあげます。

  財団法人全国強制抑留者協会 

  株式会社サラダコスモアメリカ社長 中田政洋氏

 

• このサイト 作成に貢献して下さった次の方々に感謝致します。

サイト構築の目的をご理解頂き、私のスケジュールに合わせて時間と熱意を注いで下さった次のお一人一人のご協力がなければ、この仕事を完成させることはできませんでした。また、頂いた感想やご意見が、全体の仕事を進めていく上での大きな力になりました。ありがとうございました。

 

カリフォルニア大学デイビス校

• ウエブサイト構築:

アンソニー・ドラウン (ウエブデザイン)

エロン・サイクス   (ウエブデザイン) 

加藤洋平(ウエブデザイン  日本語入力)

クリス グラハム  (ウエブデザイン   英文校正 地図デザイン )    

ケビン ローディー(ウエブデザイン   英文校正) 

ジェフ・ストラットンウエブデザイン)   

デイビッド・フェイ(ウエブデザイン)  

長谷川優  (ウエブデザイン  日本語入力)

         

資料作成:

アナ・レズニック(ロシア語解読、英訳)

大西里奈(日本語入力)

岡野真由子(日本語入力)

ジー・ヤン・カム(楽譜校正)

ティモシー・ゼレンスキー(ロシア語解読、地図作成補助) 

ディラン・ ボデット(地図作成補助)

トーマス・デッカート  

プレストン・ハートフィールド(スキャニング)    

 

友人、家族

イゴール・ベリガン(ロシア語英訳)

ジョナサン・サカキバラ(英文校正、ビデオ収録)

森田秀男(ビデオ収録) 

ユミサカキバラ(英文校正) 

ユーリー・ソドマ(ロシア語英訳)  

ルージョン・ヒューストン(ビデオ作成技術指導)