不思議な集団心理

こんな風呂でもさすがに風呂は良いものである。殺菌室でよく乾かされた下着をつけ、洋服を着、外套を被って外に出てみれば、一面の雪の世界に太陽が低く照っている。

はるばる来たなあと言う思いであるが、はてさてどこまで連れて行かれるのやら、さっぱりわからない。あとは何日汽車に揺すられるのやら、それもわからない。わかっていることはこうして生きているということと、それでも沢山の日本人仲間がいるということでしかない。

集団心理というものは妙なものである。戦争の最中、私が漢口の軍司令部に勤務していた頃、夜飲みに出ると、ほとんど毎晩のように空襲に遭った。米軍機である。街の通りを歩いていると空襲警報が鳴る。と同時に、爆弾が降ってくることがある。

咄嗟のことで、もぐり込むべき防空壕もわからない。パッと建物の陰に身を潜めると、飲んでいた仲間やら何やらが時に7人も8人もドタドタとついてくる。軍人の私の逃げ込む場所は、安全だとでも思うのであろうか。「兎角メダカは群れたがる」というが、それである。集団心理というのか、大勢いれば、これだけいるのだから自分だけがひどい目に遭うこともあるまいといったような、何はともない安心感からであろうか。

われわれも思いがけなく捕虜という名前をつけられて、貨物列車で荷物のようにシベリア鉄道を西へ西へ運ばれる身の上と相成ったわけであるが、何となくドン底の気持ちに落ち込まなかったとすれば、それは、大梯団の一員として、大勢の仲間と一緒にいたせいであろう。もっとも、ソ連軍に抑留されて数ヶ月、まさか故なくして殺すようなことはあるまいという気持ちが湧いてきたからでもあろうか。

私も入隊前に大体、軍隊は気楽なものだというふうに聞かされていたが、入ってみると、初年兵では話と大違い、何が気楽なもんか、あんなに心身ともに激しいしごきを受けたことはなかった。今思い出しても、ゾッとする場面がいくつもあった。それを何時かは書いてみたいと思っている。

しかし、軍隊というところは、指揮官、それも上のほうはいざ知らず、大多数の者は、明日のことを思い患う必要は毛頭ない。上官の命令は天皇陛下の命令であると言われて動かされる身にあっては、その命令の是非、善悪などを考える余地はないから、黙ってそれに従って行動していればいい。その意味では全く気楽な者である。

軍隊ではメシと寝るところは付いて回る。明日のメシの心配をしないでもよいというくらい気楽のものはないのでないか。人間の欲望は切りがないから、生活を落とすことも容易ではない。

しかし、軍隊に召集されても、職業軍人ではないから昇進に望みをもっているわけではない。同じ服を着て、同じ釜のメシを食って、人並みに行動していればいいとなると、動物に近くなるのかもしれないが、それなりに環境に馴れてしまうものである。

昔、一高の生徒の頃、トルストイの『人にはどれだけの土地がいるか』という小説を読んだことがある。東に日が昇ってから、日が西に沈むまでに自分の足で歩いただけの区画の土地をある値段で買うという約束で歩き始めた農夫のイワンが、欲張りすぎて遠くへ遠くへと行き、日が沈むまでに出発点にもどうために駈けて、駈けて、駈け抜いてやっと出発点にたどり着いたものの、心臓が破れて死んでしまうというストーリーであった。結局イワンに必要であった土地は、彼の亡骸を埋めるに足る一握りの土地にすぎなかったということで結ばれていた。

トルストイのこの小説を思い出したのは、われわれが抑留されたところがロシアであったからでもあったが、その後の収容所3 年の生活で、本当に必要なものはごくわずかなものにすぎず、最後には、飯塩とスプーン(これですら何かで代用はできる)と防寒具だけであることを思い知ったからである。明日のことを思い患わないでよいという私の習慣は、こうした状況のなかでさらに磨きがかかったといえよう。