砂糖の分配作業

私は炊事の夜勤を数ヶ月やった後、砂糖分配の仕事を担当することになった。そもそも、われわれには1 日当り 30 グラムの砂糖が配給されることになっていて、糧秣のノルマ表に載っていた。その砂糖は最初は援ソルートでアメリカから送られてきたキューバ産であったが、いつしか絶えて、今度はドイツ産のビート糖となった。いずれも、砂糖袋の印刷文言でわかった。

キューバの砂糖袋はジュート製の立派なものであったが、ドイツの砂糖袋は良く見ると紙製であって、紙を強くひねった糸で織られていた。ドイツも物資不足であったことがよくわかるような製品であった。

この砂糖袋は一袋で重いものは 100 キロぐらいのものもあった。1日一人30 グラムというと、五千人近い人数がいたから1日150キロぐらいで、1 袋半か 2 袋になる。この袋を倉庫から運んでくるのは他の糧秣と同様に糧秣運搬班であるが、それを炊事の入口で受け取って、炊事場の中を通り、食堂脇の小廊下まで運ぶのは私の仕事であったが、これがまあ大変なのであった。普通の身体状態であっても、6、70 キロはともかく、100 キロを超えるものとなると、自分一人で抱えられない。二人がかりで担ぎあげて背中に載せてもらうのである。120 キロともなると、ズシリと背中に乗った砂糖袋は巨岩のごとく身体を圧迫し、一歩一歩全力を振わなければ歩けなかった。

炊事場の中にたった2 段の階段があった。昇るならまだいいが、下るほうが大変なのであって、脚にグンとくる。後生、私がギックリ腰に悩まされるようになった原因はいろいろあるが、この砂糖袋の運搬もその一因ではなかろうかと疑っている。

砂糖分配の主任はドイツ人の将校でランベルティといった。彼は、その名でわかるようにイタリー系であって、ドイツ語はもちろん、フランス語や英語も話した。

彼の助手を私がやることになった。二人の会話は主として英語であったが、ドイツ語も使った。フランス人は他国語を知っていても使いたがらないといわれているが、ドイツ人は多国語をしゃべれることをむしろ自慢しているのではないかと思われた。というのは、彼もドイツ語よりも英語をしゃべりたがるのであった。

砂糖分配は毎朝9 時頃から開始された。各中隊の給与係がてんでに容器を持って食堂前の廊下に並ぶ。夏はともかく、冬は9 時でもまだ暗い。裸電球の下で砂糖袋から砂糖を取り出して、各中隊の人数に応じて秤で量る。作業は簡単であるが、木の板にかかれた各中隊の当日の在籍人員数と各中隊の給与係の言う人員を照合し、一致したら、ただちにその員数に29 グラムをかけて算出した数字をもとに砂糖を量はかるのである。秤は分銅を片方の皿に置いて量る旧式のものであるが、これを手早くやらなければならない。

一人当たり29 グラムとするのは、砂糖袋に記してある重量どおりに砂糖がないこともままあったし、給与関係のロシア人の将校からケーキを作れと要求されるたびに、ドイツ人の元菓子職人が砂糖を取りに来るからであった。われわれの食い物のピンハネであったが、これを断れないのが置かれた環境の辛さであった。運搬の途中で砂糖が零れることもあったと思う。目減りである。

一人29 グラムでなお不足する時は28 グラムにしたが、その中隊ごとの計算は、29 の時は30 を掛けて人数を引くのである。つまり、例えば89 人の時は30 を掛けると2670となる、ここから89を引くのである。28の時はチョット大変であって、30を掛けて2を掛けた数字を頭の中で瞬間に計算する。ロシア人が見ていると手品のように見えるらしい。「オー、マジック」であった。

砂糖分配は1 時間余りかかった。じっと待ちながら見つめられている中でパッパッと頭のなかで計算し、計算しながら分銅を拾って秤の一方の皿に置き、右手で砂糖箱にシャベルを突っ込んでザッと片方の皿の上に置くという作業を一瞬のうちにやるのである。これが一発でバランスする時はヤッタという感じであった。

砂糖分配の仕事から給与主任に替ったが、ラーゲルの給与主任という職責上必要でもあったし、毎日使っているうちに、次第にロシア語を覚えるようになった。ロシア語の新聞である「イズベスチア」や「プラウダ」もよくわからない単語を読み飛ばしながら、かなりわかるようになったし、仕事上必要な日常会話は何とか不自由ではなくなってきた。

ロシア字を書くことも随分馴れてきた。というのは、毎月雀の涙ほどの給料(将校10ルーブル、兵3ルーブル)を受け取るために5千人もの名簿を書かなければならない。受領証になるのだろうから本人が書かなければならないものを代行しているのか、ただ内訳の名簿にすぎないのか。そこはもう一つハッキリしなかったが、全部書くのは一寸した作業であった。

ザラザラの褐色の紙に昔ながらのペン先をインクに浸しながら走らせるのであったが、ペン先が引っかかって、走らせるというほどのスピードは出せない。毎月提出する日は決まっていても、時に夜業になることもあった。