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Japanese Interned in Siberia
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サイトについて
1. 日本人のシベリア抑留―要約
2. 沈黙の理由
3. シベリア抑留者だった叔父
4. 第二次世界大戦中のアメリカ日系人の収容から学んだこと
5. 若い世代のために
6. 言語習得の一助として
7. 感謝
久芳健夫
1. 写真
2. ソビエト抑留者業務管理局公文書 軍事捕虜資料
3. 第13収容所第14収容所 1945年11月15日到着者の調査票
4. 抑留者登録カード
5. 仕事の許可申請1950年3月20日付
6. 日本への再入国身上申告書
7. ロシア連邦全体図
8. 沿海地方図
抑留所所在地
吉田勇絵画集
ボルガは遠く
第一章
重大ニュースの発表 (p.40)
募る失意と望郷の念 (p.42)
運命の分かれ目 (p.45)
軍司令部の混乱 (p.48)
当時の日ソ関係 (p.52)
われわれは抑留者か捕虜か (p.56)
武器・弾薬の引き渡し (p.60)
夕闇のなかの脱出(p.63)
収容所から作戦命令(p.65)
興南港から帰国とのこと(p.69)
第二章
ダイナマイトで小豆を煮る (p.74)
クラスキーノの天幕生活 (p.77)
軍律厳しソ連軍 (p.79)
すし詰めのシベリア横断 (p.86)
貨物列車での飯上げ (p.89)
酷寒零下55度 (p.91)
西から東に走る囚人列車 (p.93)
地平線に沈む夕陽 (p.95)
不思議な集団心理 (p.98)
四日にわたる「死の行軍」(p.108)
第三章
北緯55度の収容所 (p.116)
一万人の将校集団 (p.118)
文官・民間人の中隊 (p.120)
民主化と代議員会 (p.124)
砂糖の分配作業 (p.133)
ノルマとタバコ (p.136)
増食とラボータ (p.142)
酷寒のトイレ事情 (p.144)
第五章
ジェレノドリスクの病院 (p.166)
一冬に800人の死者 (p.169)
ラーゲルで結ばれた友情 (p.171)
監獄の苦痛と恐怖 (p.174)
内務次官の取り調べ (p.176)
捕虜の身の情けなさ (p.180)
浮かび寄る恐ろしい疑念 (p.183)
第六章
『ロシア語四週間』とロシアの小説 (p.188)
壁新聞と日本新聞 (p.190)
鉄条網のなかの読書会 (p.192)
『共産党宣言』の翻訳 (p.194)
ラーゲルの洗脳活動 (p.196)
第七章
病院と診療所 (p.218)
ソ連人の暮し (p.222)
素朴で親切なタタアル人 (p.227)
第八章
「ダ・スピダーニャ」 (p.232)
舞鶴に向かう帰国船 (p.235)
大蔵省への復帰 (p.238)
満蒙開拓義勇隊の悲劇 (p.241)
抑留者団体の結成 (p.243)
抑留問題の紆余曲折 (p.250)
学校教科書への疑念 (p.253)
第九章
ソヴィエトの崩壊 (p.258)
初めてのモスコウ訪問 (p.261)
モスコウの変貌 (p.265)
再びエラブガの地へ (p.268)
戦友の霊が眠る弔魂碑 (p.275)
約束不履行の墓守り (p.278)
カザンで大統領と面会 (p.284)
ハバロフスクでの慰霊祭 (p.289)
継続する日ロシンポジウム (p.292)
付記
謝罪と補償の要求 (p.295)
会長就任での決意 (p.297)
検討懇談会の発足 (p.299)
戦後処理問題の最終決着 (p.311)
ロシア側との折衝の経緯 (p.316)
外務省への期待 (p.319)
抑協33年の運動の軌跡 (p.321)
あとがき (p.327)
労苦の記録
インタビュー
舞鶴引揚記念館内蔵品
1. シベリア抑留者を待ち続けた家族とその運動
2. 念願の帰還風景
関連文書
シベリア抑留史
女性抑留者
1. 女性抑留者について
2. 看護婦の証言(新聞記事)
3. 坂間文子さんのこと
序文
i. 1945.9-1946.6
ii. 1946.6-1950.7
iii. 1950.7-1950.12
iv. 1950.12-1953
v. 1953-1955.4
vi. その後
考察
音楽
歌:岸壁の母
1.「岸壁の母」について
2. 歌詞
3. 歌の誕生の背景
4. 端野いせ
歌:異国の丘
1. 歌の動画
2.「異国の丘」について
3. 歌詞
4. 歌の背景
5. 作曲家 吉田正
シベリアの歌
バラライカ奏者:北川翔
1. 祖父•北川剛について
2. 北川剛と日本のロシア音楽
3. 北川翔(バラライカ奏者•北川記念ロシア民族楽器オーケストラ指揮者)
4. 音楽
参考文献
30-31. 牡丹江駅通過
牡丹江駅通過
軍人、一般邦人、開拓者、渾然一体となり牡丹江駅を通過する。暴動か、略奪か、多くの満人の屍体が転がっている有様を見る。
昭和20年8月10日