読売新聞 夕刊 -- 1992年(平成4年)11月6日 金曜日

読売新聞 夕刊

1992年(平成4年)11月6日 金曜日

平和へ魂の叫び

シベリア抑留絵画展 初めてロシア巡回

奈良の吉田さん地獄の体験描く

吹雪の中で鋭く光るまなざしに、身をすくませる若者がいた。凍土で息絶えた屍(しかばね)に、涙をためる老人が見えた。シベリア抑留体験を描き続け る奈良県大和高田市のアマチュア画家、吉田勇さん(68)が、初めてロシアで開いた巡回絵画展。戦争の醜さを訴えて画面を埋める「魂の叫び」は、激動と混 乱の社会で暮らす現地の人々にも、平和への誓いを伝えた。西嶌一泰(社会部) 写真も

「謙虚さに頭さがる」吉田さん

「私の絵が現地の人々に不快感を与えるので、という不安もあったが、予想以上に素直に見てもらっているようです。絵の前で議論を始める人、抑留生活 や絵について熱心に尋ねる子もいて、日本での展覧会よりも手ごたえがある。日本人が自らの罪を目の前に示された時、こんなに謙虚になれるか、と考えると、 ロシアの人たちの奥深さ、心の広さに頭が下がる思いです。今となっては勝者も敗者もなく、平和を求めて力を合わせるべきだと、改めて痛感しました。」

最初の開催地は、今年初めから外国人の立ち入りが許された軍港の町、ウラジオストク。旧共産党極東本部で、現在は沿海州庁舎になっている通称「ホワイトハウス」の一階ホールを会場に、先月九日から一ヵ月間の予定で行われている。

展示作品は、酷寒の中の水運びや薪(まき)割りの重労働、帰国の夢もかなわず倒れて行く戦友、少ない食糧の分配に目を走らせる姿など、凄惨(せいさん)な収容所の様子を中心に約二百点。ソ連兵の虐待や略奪を告発する絵も多い。

「ロシア人にとっては目をそむけたいこと。でも、新しい国造りを進めるため、しっかりと見つめなければ」と、一点ずつ説明文を読んでいた極東史の専 門家、ゾーヤ モルガンさん(45) .「抑留については、ペレストロイカ後、やっと雑誌や新聞で知られるようになったばかりです」と話す。

会場では「いい絵を見せてもらった。お礼が言いたい。」と吉田さんを探す人も目立った。「ソ連兵の非をおわびします」と真っ赤な目で話しかける女性も。

労働組合職員、ブルキナ ルドミラさん(44)は「私が育った地方にはナチの収容所がありましたが、日本人の抑留は知らなかった。戦争に対する怒りで,涙が出そうです」と、握手を求めた。

美術学校に通う子どもたち十数人のグループは、ため息をついたり、口に手を当てて驚きを示したりしながら鑑賞。ジーナ ソースノーワさん(12)は 「私たちの国で、こんな恐ろしいことがあったなんて.....。人間同士が戦うことの愚かさが、ひしひしと伝わってくる絵です。表現力の豊かさが勉強にな りました」と、真剣な表情だった。

連日、人並みが続く会場。若者向けの新聞「太平洋」の記者、ベロニカ バラバシュさん(23)は、「ここはモスクワから遠いうえ、長く閉鎖されてい た反動で、演劇祭やジャズ祭など海外に関するイベントが目白押し。特に日本は隣国なのに、経済関係が先行してきたから、市民は文化交流を望んでいたので す」と分析。

さらに、吉田さんとのインタビューを終え「こんな体験を持つ彼が、今はロシアに悪い感情を抱いていないので、感動しました。戦争を知るには、相手側の見方を理解することが大切。多くの若者がこの展覧会に足を運ぶよう、訴えたい」と話していた。

 

感想ノート

収容所は恥だ/日本兵も蛮行

会場の出入り口には「感想ノート」が於かれ、訪れた人たちが、それぞれの思いをつづった。

「当時はシベリアのロシア人も貧しかった。でも、やせ衰えた日本兵を見かねて、パンを分けてあげたものです。お礼にハーモニカをもらったこともあります。どの国にも、いい人も悪い人もいるのです(年配の女性)

「収容所のことは父から聞きました。所在していた場所もわかるので、日本から墓参団が来たら、案内します。」(自宅の電話番号を記した男性)

「収容所のことは知りませんでした。私たちの歴史の中で、恥ずかしいことだと思います。大切なことを教えられました。吉田さん、ありがとう」 (美術学校四年の女生徒)

「1920年前後に日本軍がシベリアへ出兵した時、日本兵は何人ものロシア人の首を切り、それを並べた光景をバックに写真を撮った。私の父の背中に も、日本人に突きつけられたナイフの傷跡が残っていた。この展覧会の後で、当時の日本人の行いを明らかにする催しも開くべきだ。一方的でなく、双方の平和 を祈るためにも」(スーツ姿

の老紳士)

 

交流深める

埋葬地図帳と展覧会

絵画展が18日から開かれるハバロフスクは、強制収容所の管理の中心だったソ連極東軍管区司令部が置かれた都市。ここの地方議員、ユーリー ニキ チェンコさん(56)は、今年、ハバロフスク州と周辺の日本人埋葬地を調査、地図帳にまとめた。「悲しい歴史は今さら変えられないから、犠牲者を悼む方法 を考えたんです」という。

内務省の資料をもとに、スタッフが二年がかりで、収容所跡の近くに住む人たちの証言を収集。一カ所に一人から七百人、計約八十か所に八千二百五十人が埋められていることを確認した。日本の厚生省や抑留者団体とも協力、十五か所に墓碑を建てた。

地図帳は約四十センチ四方で三十ページ。「洪水で流されたり、上に菜園や建物ができたりした埋葬地も多い。地図の通りに見つからなくても、私のよう なロシア人の思いは、きっと遺族や墓参団の皆さんに伝わるでしょう。両国の友好に役立つことがでkれば、うれしいですね」とニキチェンコさんは力強く話し た。

現地では「日ロ関係を進めるには、抑留の事実の掘り起こし作業は、避けて通れない」との意識が、かなり浸透している様子。

同州文化委員会のアレックサンダー ボカルニコフ委員長(50)は「強制収容所などスターリンの時代の事実は、もはや秘密でも何でもない。両国が歴史を正面から見つめるのは、交流を深めるためにも大切なこと」という。

ウラジミール クズネツオフ沿海州知事は「展覧会は、互いの国の国民を理解し、友好を深める。(冷戦の集結という)国際政治の変化が背景にあることも忘れず、評価したい」と強調していた。

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