病院へ

もとより体の弱かった赤羽さんは、この頃リンパ腺が膨れあがり、病院へ送られた。

気づくと骸骨のように飛び出した肋骨が一本一本見える体となっており、ロシア語を教えてもらっていた友達のワーニャとも離れることになり、ポタポタと涙を落として泣いた。その頃チャーチルがソ連圏を「鉄のカーテン」と呼ぶようになっていたが、赤羽さんは、その「鉄のカーテン」の中に閉じ込められてしまっていた。その生活環境の中では何かを知ろうとすればスパイだと噂されたり、密告されることもあったので、一人思いをめぐらせながらも、確かなことを知る術は一つとしてなかった。治療らしい治療もないまま入退を繰り返す中、膿をもったグリグリは大きくなる一方だったし、目やにも止まらず、視覚もままならなかった。唯一入院中の食事だけはバターや牛乳が加わり、スープの中にもジャガイモがあり、肉も一切れあった。そして、心優しいロシアの婦人であった女囚からロシア語を習うことができた。病院ではよく刺繍をしていた。赤羽さんの刺繍は定評があり、女囚や女看守、警備のソ連兵からも時々注文があった。

時々重症患者の様子を見にきて釈放を言い渡す検閲官がいたので、もしかしたらと、釈放に一縷の望みを持ったこともあったが、五十八条で受刑中だと、釈放されることもないとわかり、赤羽さんは突然激しい目まいと苦しみに襲われ、恐怖に胸をしめつけられそうになった。その頃日本兵が一人向こうの建物に来ていることがわかり、その男性から日本の捕虜はだいたい帰国したことを知った。