日本の菊

病院生活も二年を過ぎた頃も刺繍の注文は続き、僅かでも小遣い銭になっていた。退院の時には院長に頼まれて「日本の菊」を刺した。一つは薄桃色、もう一つは黄色の大輪の菊。刺している間、病人たちは代るがわる出来映えを見に来ては、「陽光の中で生きているようだ」と言った。院長はとても喜び、お茶をご馳走してくれた。けれど悲しいことが起きた。以前奉天の官房で偶然一緒になった日本人女性の田中さんに病院で再会したのだが、重症の結核患者として別の病室に運び込まれ、駆けつけた時には既に変わりはてた彼女の姿があった。「病院でタナカが死んだ」というニュース。カザフスタンの広野で寂しく死んだ愛娘のことを、日本の両親はどんなに嘆き悲しむだろう。彼女は尋問の時に激しく投打されたことが結核の原因となったのだ。赤羽さんは他人事とは思えず、身にしみて辛く思った。