ある日、村の巡査に呼び止められた。前にクラスノヤルスクで渡された書類の国籍が空白になっていたので、それについて嘆願書を出したことがあり、そのことを聞かれた。しかし、その時事務所には薄気味悪い不審な男がいたため、赤間さんはとても不安になった。またどこかへ移動があるのか。何もわからないまま運命が翻弄され続けてきたため、闇のような不安が更に広がった。
ベイ村の生活には、自由な日本の社会とは大きく違うことがあった。それは常に何かに怯えていなければいけないという脅威。「私たちの後には何百、何千の監獄があり、ラーゲルがあった。そこにひしめく何十万何百万とも知れぬ囚人たち。常にどこかで目を光らせている警察と党員たち。いつまた、あのラーゲルへと逆戻りさせられるか知れない不安。言葉の端々にまで耐えず気をくばっていなければならぬ緊張。こんな社会に、真の安住があるわけがなかった。」(p.218)
事務所から使いの老人が来て、まず官給品は皆返すようにと告げられた。数少ない荷物をまとめて家を出る。知らせを聞きつけた女たちが次々と集まってきた。涙を必死にこらえて別れを告げ、河まで降りるとあの不審な男が銃を持って小舟の中で待っていた。河は静かに澄み渡り、水の上を折れた小枝が草の葉をからませて流れて行く。「あれはまるで私のようだ。」と赤羽さんは思った。「私は不思議に恐くはなかった。もう散々運命にもてあそばれ、旅と別れを繰り返し、失うものは全て失った。この上私から何を奪えるというのだろう。まさか命ではあるまい。僅かに残されていた流刑地での自由だろうか…どうにでもなるがいい…私は妙に、開き直った気分だった。(p.226-7)
岸辺の村で板の上にゴロ寝して一夜を明かした後、数キロの山道を歩かせられた。そして村役場にある部屋に通されると、赤羽さんは三人の軍服姿の将校から「ソ連のために、スパイにならないか。」と聞かれたのだった。言うことを聞けば、病気を治すために立派な病院へ行けるし、その後は都会に住んで、日本人の間で見聞きしたことを我々に伝えるだけのことをすれば良い、という依頼を、赤羽さんはきっぱりと断った。「私の様子をご覧になればわかるでしょう。私はもう、長く生きられないような気がします。僅かな余生をどうぞそっとしておいて下さい。お願いです。」限られたロシア語で必死に嘆願しても、冷酷な依頼はまた続き、拒否の理由をしつこく聞かれた。「私にはできません…貴方にお訊ねします。が、もしソ連の婦人が、今の私と同じ立場に立ったら、そして、スパイになることを承諾したら、貴方はどうお思いですか?彼女を、立派な婦人だとはお思いにならないでしょう…?ですから、どうか私にそんなことを勧めないで下さい。日本では、年老いた両親が、私を待っているのです。スパイになれば、私は日本にも帰れないでしょうし…。」三人の執拗な誘いと冷たい凝視が続く中で、赤羽さんの意志は変わらなかった。
「殺されるかのかもしれない--。そんな考えがさっと頭をよぎった。秘密を知られた相手を殺すのは、昔からよくある手ではないか。……ひとりの女がいる。彼女はともかく生きた。いま、死はすぐ彼女の隣りにある。それがなんだろう…。ただちょっと隣りへ行くだけではないか…。そこにはもう苦しみも悲しみもない。痛みもない… 。」(p.253) こんなことを、考えていた赤羽さん。いつからこのような判断力を身につけたのだろうか。極限の恐怖に包まれた状態の中でもうろたえるなく、筋の通った態度を取った。シベリアを連れ回されていた間、赤羽さんは悲劇を生身で生きる中で、いつもこのように客観的に状況を把握する力があった。きっと自分の存在の現在と未来に関して「自分はここにいる理由はない。日本に帰るのだ。」という強い確信と生きる目的が満ちていたのだと思う。 長い歴史の中で、日本という国では、女性は男性中心に生きることを教えられて来た。が、赤羽さんは自分自身の力で、人間としての独立と自由の尊厳を重んじる生き方を選んでいた。歴史の流れに埋もれて見えなくなってしまうかもしれない運命にあっても、赤羽さんの精神には見事な輝きがあった。
その後はどうなるかと怯えながらも意志を通した赤羽さんに、ロシアの将校達は意外にも寛大な処遇を決めた。またベイ村へ帰って良い事になったのだ。ただし、ここで聞いた事は一切誰にも話さないという条件で。ここで、赤羽さんが実にか細い女性であったという事が幸いしたかもしれない。というのは、他の男性の抑留者達の場合にはソ連側に選ばれ、「早く日本に帰す」「もっと食べ物を与える」という手段で共産化を強要され、多くのラーゲルでそれらの一部の日本人による共産党の洗脳の嵐が吹いた。特に軍隊の上下関係の規律を強いられたままの抑留生活に不満を持っていた人達の怒りは、そこで爆発した。日本人同士の吊り上げが行われ、密告が横行し、日本人社会そのものの中に不気味な空気が流れた。多くの抑留者が、この時期の言い知れぬ苦しみについて記している。そんな中で「スパイにならないか」とソビエト側から促された場合、男性だったら、純粋な気持ちを通そうとすればするほど暴力や死の憂き目にあって迫害を受ける可能性があったのではないか。女性であった赤羽さんの勇気ある行動が、ここでは良い結果にでた事を大変嬉しく思う。それはまた、赤羽さんに与えられた運でもあっただろう。